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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)2144号 判決

原告 ピー・プロ商事株式会社

右訴訟代理人弁護士 磯辺和男

被告 亡米谷美彌子訴訟承継人 木村秀夫

右訴訟代理人弁護士 岡村勲

同 浜田脩

同 片岡寿

右訴訟復代理人弁護士 浜二昭男

主文

一、被告は、原告に対し、金八〇万円およびこれに対する昭和四四年三月二一日から支払い済みに至るまで年六分の割合による金員の支払をせよ。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、この判決は仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

主文同旨

二、被告

1.原告の請求を棄却する。

2.訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1.原告は、その会社業務として、昭和四三年一一月一日米谷美彌子と訴外株式会社山王スタジオ(以下山王スタジオという)両名を連帯債務者として金八〇万円を貸付けた。その弁済期は、原告と右両名との間において、山王スタジオが現に米谷から賃借している東京都港区赤坂五丁目三二八番地所在鉄筋コンクリート造り一部コンクリートブロツク一部木造六階建居宅兼事務所兼録音室の一階一室二一一・六一平方メートル(六四・一二五坪)〔以下本件建物部分という〕につき、新たに、貸主を米谷とし、借主を原告とする建物賃貸借契約が成立した時または右契約が成立しないことに確定した時と定められた。

2.ところが、同月二二日前記建物賃貸借契約が成立しないことに確定し同日米谷はこれを知った。

3.米谷は昭和四五年一二月二五日死亡し被告が包括遺贈によって右米谷の地位を承継した。

4.よって、原告は被告に対し、右貸金八〇万円およびこれに対する遅滞に陥った後である昭和四四年三月二一日から右支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する認否

1.請求原因1の事実のうち山王スタジオが原告主張の頃米谷から本件建物部分を賃借していたことは認めるがその余の事実は否認する。山王スタジオの代表者である山川朝太郎が、右建物部分の三ケ月分(昭和四三年八月ないし一〇月分)の滞納賃料金八〇六、四〇〇円を米谷に支払うため原告からその主張のような金員を借り受けたものである。もっとも、米谷は、山川の右金借の際に立ち会い、山川が原告宛に作成した借用証(甲第二号証)の米谷名下に自ら捺印したことはあるが、それは、原告会社の代表者である柏木剛の求めに応じ、米谷自身は借主ではなく、立会人である旨話し、柏木の諒承を得てしたものにほかならない。なお、右借用証中に、「但し返済は賃貸借(山王スタジオ)契約時と致します」とあるは、「山王スタジオと原告との間で、山王スタジオの設備一切の売買契約が成立した時」との意味であり、山王スタジオは、右売買代金の一部を前記借入金の返済に充てる旨原告と合意したのである。

2.請求原因2の事実は否認する。

第三、証拠関係〈省略〉

理由

一、(米谷の借受けの点について)

(一)〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(1)米谷美彌子は、その実姉(同人は被告の妻にあたる)とともに、昭和二七年九月以来舞踊家として、広島での被爆体験をテーマとした舞踊公演および平和活動に挺身してきたが、その活動の本拠として、昭和三四年一〇月頃国から賃借した敷地(東京都港区赤坂五丁目三六番地一一〇)に鉄筋コンクリート造三階建の建物を建築した。次いで昭和三五年八月頃右建物を増築して六階建の本件建物とし、同所に、日本と各国との芸術家の交流、研修活動を目的とした国際舞踊研修所(昭和三七年八月に国際芸術家センターと改称、以下センターという)を開設した。右センターは、下中彌三郎を理事長とし、米谷および被告らを理事とする法人格なき任意団体として出発したが、昭和三六年二月に右下中が死亡した後は、米谷が理事長代行(主幹)としてセンターの活動を主宰し、同人が本件建物部分を山王スタジオに賃貸して得られる一ケ月二六万八、八〇〇円の賃料収入のほか(右賃貸の点は当事者間に争いがない)、政府補助金をもってその活動資金に充てていた。しかし、センターの進展に伴ない、右の収入のみでは充分といえなくなってきたうえ、本件建物の前記新・増築資金として住宅金融公庫から借入れた借入金(元本七七八万円)の返済に追われたため本件建物を担保として、昭和三六年一〇月に九五〇万円昭和四一年に一、〇〇〇万円と順次借財を重ねた。しかるに、昭和四二年に入って、右債務の返済に頓挫を来し債権者の申立により、同年三月八日と同年五月二日に、相次いで本件建物の各専有部分につき任意競売手続が開始されるに至った。このような状態になっても、なお、センターの活動を維持していくため、翌四三年九月には更に八六七万二、〇〇〇円の借入れをした。

(2)ところで、山王スタジオは、本件建物部分で映画やテレビの録音業務を経営していたが、同年六、七月頃から経営が、行き詰り、同年八月分以降の賃料の支払も滞納していたので、前記のように多大な債務の返済に窮していたセンターからは再三その支払を催促されていた。そこで山王スタジオの代表者である山川朝太郎は、前記のようなセンターの経済状態をも考慮に入れ、山王スタジオに代る新たな賃借人を探してそこに録音器材一式を売却し、同時に、新借主が賃借にあたってセンターに差入れる金員から、山王スタシオがすでに差入れてある七〇〇万円の保証金の回収を図ることを計画し、以前に山王スタジオの録音技師をしていた訴外空閑昌敏を通して原告に同建物部分での音楽録音スタジオの経営の話をもちかけた。

(3)原告は、社会教育映画の製作と不動産の管理を業とする会社であり、右音楽録音スタジオの経営は新規專業であったが、その事業計画、採算、購入器材の見積り等につき、空閑の報告を基に検討のうえ、米谷との間で新たに建物賃貸借契約を結び、右建物で右事業を行なうこととした。そして原告会社の代表者である柏木剛は、センターの事務局長をしていた被告との間では、賃貸借の条件について、また山川との間では、山王スタジオの器材等の売買の条件についてそれぞれ交渉し、同年一〇月下旬には、建物賃借の際米谷に差入れる保証金を七〇〇万円とする話がほぼまとまった。

(4)ところで、米谷は、当時前述のような多額の債務の返済に充る資金に窮していたので、被告とともに、同月二五日頃山王スタジオの山川に対し、「他の債権者に対する差迫った支払いもある。すでに滞納となっている三ケ月分の賃料八〇万六、四〇〇円の支払いを早急にして欲しい。」旨強く要求した。これに対し山川は「二、三日先になれば、原告との前記売買契約も成立して代金が入るからそれまで待って欲しい。」と懇請したが、米谷に聞き入れられなかった。そこで山川は、柏木に対し八〇万円の貸付を申込んだ。その際山川は、右借入金の返済は前記器材等の売却代金によって確実に履行される予定である旨柏木に説明したが、同人は米谷を一緒に連れて来れば右貸付をしてもよい旨の回答をした。それは、原告としては、前記器材の買入れには消極的であり、また、当時の山王スタジオの資力自体から考えて、その返済能力に危惧の念を抱いていたことのほかに、右貸付金が直接には山王スタジオの米谷に対する滞納賃料の支払いに充てられるとしても、いずれ米谷のもとに入る金であるから折柄同人との間では前記建物賃借の話が煮詰り、保証金の額もほぼ決定していた時でもあったので、右貸付金に対し前記保証金の実質的な内渡しの趣旨をも持たせることが便宜であると考えたからである。

(5)米谷は、自分が山川と同道して頼めば、原告からの金融が得られる旨山川から伝えられたため、同年一一月一日自己の印鑑を携えて山川とともに、東京都港区琴平町にある原告の営業所に赴き、直接柏木に対し八〇万円の融資を申込んだ。この結果原告主張の金銭消費貸借契約が成立し、柏木から米谷と山川の両名に対し原告の振出にかかる額面八〇万円の小切手が交付された。その際、右小切手が現金化された場合の原告に対する返済については、山王スタジオが原告から前記の売買代金を受取る際に清算するか、或いは、原告が米谷に差入れる予定の前記保証金から差引くことによって返済されたことにする旨の話合いが成立し、この場で作成され、米谷もみずから押印して米谷と山王スタジオから原告に差入れられた借用証(甲第二号証)には、「但し返済は賃貸借(山王スタジオ)契約時と致します」との記載がなされた。

そして米谷は原告の営業所を辞去したあと、山川から前記小切手と現金六、四〇〇円を前記三ケ月分の滞納賃料として受取って右小切手を直ちに支払銀行に振込んで現金化した上、これを債権者に対する支払いに充てた。以上の事実が認められる。

(二)ところで、被告は、前記の八〇万円(小切手)は山王スタジオが米谷に対する滞納賃料を支払うために山王スタジオ単独で原告から借りたものであり、米谷はその際の単なる立会人にすぎないと述べ、右貸金の返済期についても、「山王スタジオと原告との間で、山王スタジオの設備一切の売買契約が成立した時」であると主張し、被告本人および被告(訴訟承継前)米谷美彌子は右の各主張に副う供述をしている。たしかに米谷と山王スタジオとの内部関係においては、右金借が被告主張のように山王スタジオの滞納賃料を決済する意図でなされたことは前示のとおりである。しかしながら、米谷が当時自己の債務の返済に迫られていたこと、同人は貸主のところまで印鑑を携えて自ら赴き、借用証に押印していること、原告とは近く建物賃貸借契約の当事者となる予定であったこと、これに反し山王スタジオは、経営が破綻し、原告との器材の売買契約も未だ浮動状態にあったことはいずれも前認定のとのりであり、この事実と、前掲甲第二号証によって明らかなごとく、右借用証中には米谷が借主ではなく立会人にすぎない旨の断り書きがなく、また返済期の記載が被告主張のごとくになっていない事実に徴すれば、前記各供述はにわかに措信し難い。米谷としては山王スタジオとの内部関係で、自己の負担部分が実質的に零であるところから、原告に対しても無責であるかのごとくに素朴に思い込んで、右の供述をしたものと考えられる。

(三)なお、原告代表者柏木剛の尋問の結果中には、本件貸付の相手方は国際芸術家センターであり、前出甲第二号証に山川朝太郎が署名捺印したのは保証人としてのものである旨の供述部分がある。しかし、前記(一)(1)に認定したとおり右センターは法人格のない任意団体で、米谷がその代表者となっていたものであり、右代表者尋問によれば、柏木は山川や被告を通じて米谷と建物貸借の交渉をしてきておりセンターの実態には通暁していなかったことが窺われ、したがって同人は、センターと米谷とを誤認混同して右のごとき供述をしたものと考えられる。また、山川に代表される山王スタジオを保証人として考えている点は、前示の(一)(4)で認定したとおり、柏木が山王スタジオの返済能力について疑念を抱いていたところからして、右と同様の誤認混同に基づく供述と見るのに難くない。それゆえ右供述部分は前認定の妨げとなるほどのものではない。更に、証人山川朝太郎は、右甲第二号証に山王スタジオ・山川朝太郎の署名捺印をしたのは、滞納家賃の件でいずれ責任をとらなければならないことなので、これをしたのにすぎず、借主は米谷だけであるという趣旨の証言をしているが、これは前掲の各証拠に対比してたやすく採用できないものである。

(四)しかして、他に前認定を覆えして、被告主張事実を認めさせるだけの証拠はない。したがって、米谷と山王スタジオを連帯債務者として昭和四三年一一月一日に八〇万円を貸与したとの原告の主張は、これを肯認すべきものである。

二、(返済期について)

原告が米谷と山王スタジオを連帯債務者として貸付けた八〇万円の弁済期が、「米谷、原告間の建物賃貸借契約が成立した時」という不確定期限の定めであったことは前認定のとおりである。しかしながら、前記借用証には明記はされてはいないが、前認定のような原告と米谷の関係に徴すれば、右賃貸借契約に関する話合が不調に終った場合には、原告主張のように、それが成立しないことに確定した時をもって返済期とする旨の暗黙の合意が同時に成立したと認めるのが相当である。

ところで、原告代表者柏木剛および被告本人(但しその一部)の各供述を総合すれば、原告は、前示貸付の後も、米谷および被告との間で本件建物賃貸借の条件について交渉を続けたが、米谷が本件建物の隣に建物を増築する予定であることが判明し、その半年間に亘る工事期間中の騒音、震動の補償問題をめぐって両者間の折合いがつかなかったこと、そしてこのことが直接的な原因となって、昭和四三年一一月二二日米谷、原告間の前記建物賃貸の交渉は、最終的に決裂したことが認められる。したがって、同日前記貸金債務の弁済期が到来したものというべきである。しかして被告(訴訟承継前)米谷美彌子の供述によれば、米谷は、その後間もなく右賃貸借の締結が不調に終った事実を知ったことが認められるから、木谷は、遅くとも後記死亡の前には、前示貸金債務について遅滞に陥ったものといわなければならない。

三、(被告における債務承継)

米谷が昭和四五年一二月二五日に死亡したこと、被告が米谷から包括遺贈を受けたことは、被告において明らかに争わないから自白したものとみなされる。してみると特段の事情のない本件では、被告において米谷の前示貸金債務を承継したものというべきである。

四、(むすび)

よって、被告に対し、貸金八〇万円およびこれに対する遅滞に陥った後である昭和四四年三月二一日から支払い済みまで、商事法定利率年六分の割合(前記一(一)の(3)ないし(5)の認定事実によれば、原告会社は、本件貸金を営業のためにしたものと認められ、これを覆すに足りる証拠はない。)による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求はすべて正当として認容すべきである。〈以下省略〉。

(裁判長裁判官 伊東秀郎 裁判官 小林啓二 篠原勝美)

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